若鶏のコンフィ

若鶏のコンフィ

b0143570_12342616.jpg


今月の料理教室は、ビストロ料理で定番のコース料理、若鶏のコンフィとキャロットラペ…
保存食としても定評のある献立ですが、昔の作り方のように長時間、低温で煮込むことなく
簡単に出来るアレンジ調理を講習しました。

b0143570_12365766.jpg


        男の料理教室「ポテトクラブ」調理、盛り付け今月のビストロ献立

7月の献立はフランスの小さなレストランから、世界的に広まったビストロ料理です。

ビストロ【(フランス)bistro】 小さなフランス料理店 気軽に利用できる小レストラン
小さなカフェ、小レストランを指し、「定食屋」「居酒屋」などと訳される。元々はワインを提供するバーを意味した。19世紀後半にパリに登場したことば。ロシア語の「速く(料理を出せ)」が由来というのは俗説。語源は不明。

ビストロの料理はいたってシンプル、それは長いこと、夫婦が切り盛りするような、 こじんまりしたとした店の料理だったからです。ビストロの料理の特徴は、あまり 高価なものを使わず、作り置きできるような、保存性のあるシチュー等の煮込み 料理が多く、前菜は燻製にした肉や魚、マリネにした魚や野菜、ピクルス(漬物)や コンポート(シロップで煮た果物)等、すべてのメニューが保存効果の高い献立で あるのが特徴です。

そんなビストロ料理の定番メニューをチョイスし、簡単にアレンジしてみました。
献立レシピには、それぞれのビストロ食文化の歴史メモが記されています。
ビストロ料理の逸話をお話しながら、楽しく調理してみました!

伝統的な「コンフィの作り方」~
コンフィはもともと鴨、鵞鳥(ガチョウ)、鶏、豚などの肉を、おもにその食材の脂でゆっくりと煮る料理です。フランス料理店(特にビストロ)では、鴨の骨付きもも肉のコンフィは定番です。鴨のもも肉は普通に焼くと硬くなりがち、しかしコンフィにするとしっとり、軟らかい食感になり、20日~1ヶ月位保存できます。
コンフィは、欧州では古くから保存食として知られ、家庭でもよく作られていました。         味付けした生肉を被る位の脂に浸け、低温(60~80度)の脂の中でゆっくり加熱するため、焼き縮みが少なく、脂に覆われているので肉汁が漏れず乾燥しにくい(しっとりとジューシーな肉に仕上がる)粗熱を取って脂ごと冷蔵庫に入れれば、酸化しにくく長持ちします。美味しいだけでなく、大変合理的な調理法の保存食です。

コンフィ(フランス語:confit)はフランス料理の調理法であり、各種の食材を風味をよくし、なおかつ保存性を上げることのできる物質に浸して調理した食品の総称である。主に南西フランスで用いられる。コンフィにする食材は肉と果物であることが多く、肉の場合は油脂を、果物の場合は砂糖を用いて調理するのが通例である。密閉して冷所に保管すれば、コンフィは数ヶ月の保存に耐え、さらに繰り返し再加熱することにより保存期間を延長することができる。コンフィは食物を保存するための最も古い方法の1つで、類似の調理法はヨーロッパの他地域や中東、北米でも見られる。
b0143570_123753100.jpg

                 個人レッスン「ミセスK」調理盛り付け

三種の写真、いずれも若鶏のコンフィですが、お料理は付け合せ、盛り付け方によっても
変わってきます。比べてみて下さい。

*******************************************************
7月献立 

若鶏のコンフィ ・ 二色のコールスローサラダ ・ キャロットラペ

オムライス ・ ブラマンジェフルーツコンポート

*******************************************************
[PR]

# by grumaison | 2013-07-26 23:33

青豆のヴィシソワーズ

夏のおもてなし冷たいスープ
夏の暑さで食欲のないとき、清涼感ある口当たりの良いヴィシソワーズは最適
基本はじゃが芋とポロ葱のスープですが、今回は青豆(枝豆orグリンピース)を
使ってコクのあるさわやかな冷たいスープに仕上がりました。
b0143570_017498.jpg


青豆のヴィシソワーズ  
                       < 材料 6人分 >
じゃが芋……450g   青豆……150g  玉葱(大)……1個
鶏むね肉……350gバター……30g    塩麹……大さじ3 
水……500cc   牛乳……400cc  塩、こしょう…適宜 
青葱orパセリ…適量  珈琲クリーム(ポーションミルク)…少々

①鶏むね肉は肉全体に切り込みを入れ、塩麹をまぶし1時間程漬け込んでおく。
②玉葱は粗いみじん切り、じゃが芋は皮を剥いて2~3㎝角に切って置く。
④厚手の鍋にバターを溶かし、②の玉葱を焦がさないように弱火で透き通るまで
 炒めてから、じゃが芋、青豆、水を加え混ぜ合わせたら①の鶏肉を浸け汁塩麹
 ごと加えて中火で蓋をして15分間程煮る。(吹き零れないよう火力を調節しながら)
⑤鶏肉だけ取り出してから、残りのスープ野菜の入った鍋底を冷やし、粗熱が取れ
  たらミキサーにかけて滑らかなピューレ状にする。
⑥冷たい牛乳を加えて更にミキシングして、塩、こしょうで味を調える。
 出来上がったポタージュを更に冷蔵庫で冷やして頂く直前にガラスの器やグラス
 に注ぎ、ミルク、パセリ等の青みを浮かべ冷製ポタージュとして頂く。

b0143570_1134484.jpg


★アイディアポイント
コンソメキューブや化学調味料は一切使わずに、塩麹に漬け込んだ鶏むね肉を
野菜と一緒に煮込んで、自然な野菜の甘みと鶏の旨みを出して調理できるスープ。
煮込んだ鶏むね肉は、ピューレにする前に取り出して、サラダや和え物に活用。
塩麹に漬け込んで調理したので、パサ付くこともなく充分な旨みの残る茹で鶏です。
棒々鶏やコブサラダ、胡瓜とワカメの酢の物等に活用できます。

★ヴィシソワーズのルーツ
ヴィシソワーズ(英: Vichyssoise、仏: Crème Vichyssoise Glacée)は、
冷たいポロネギ風味のジャガイモのポタージュです。
バターでポロネギとじゃがいもを炒めてからブイヨンを加えて煮て、裏ごしして
生クリームで伸ばし冷やして飲む冷たいスープです。
フランス語の名称は「ヴィシー風冷製クリームスープ」の意。このスープを
考案したのはニューヨークのザ・リッツ・カールトンのシェフであった
ルイ・ディア(Louis Diat)で、フランスのヴィシー出身だったためにこの名を
付けたそうです。
ルイ・ディアは自著『Cooking à la Ritz』において、母が作ったジャガイモと
ポロネギのスープ「ポタージュ・ボンヌ・ファム(Potage Bonne Femme)」に
夏の暑い日、冷たい牛乳を入れてもらった記憶からヴィシソワーズの発想を
得たと書いています。
1917年6月、ザ・リッツ・カールトンのレストラン「ルーフ・ガーデン(Roof Garden)」
オープンに合わせて導入したメニューだそうです。
20世紀のアメリカ合衆国で創られたスープの中では、最も有名なものの一つです。

b0143570_1282247.jpg

今年もアナベルがきれいに咲きました。
[PR]

# by grumaison | 2013-06-26 01:29 | とっておきの料理

パンの歴史

パンの歴史
小麦が初めて歴史に登場したのは約9000年前。その小麦から作られるパンは、貴重な食料として古来より各国で神の贈り物とされ、毎日の食事はもちろん結婚式のお祝いや墓の埋葬物など、暮らしのさまざまなシーンで用いられていたそうです。
紀元前、古代文明が栄えた時代にいち早く小麦の栽培をはじめ、経済の基礎を築き上げたとされる古代エジプト。世界初の発酵パンはここで誕生しました。それまでは、無発酵の生地を使った硬い平焼きのパンが作られていたそうです。パンの発酵は“偶然”発見されたものといわれています。おそらく、誰かが作り置いたパン生地に空気中の酵母菌がついてふくらみ、それを焼いたところ、おいしさに気づいたのでしょう。
その後、各国間の貿易交流や盛んになり、小麦の産地がヨーロッパ全土に拡大していくにつれ、パンの製法もひろまっていきました。
日本で小麦の栽培がはじまったのは弥生時代。その後、小麦粉を練った生地で作る「蒸餅」「焼餅」という食べ方が中国から伝わりました。しかし、生地を発酵させた西洋風パンが伝わったのは1543年(天文12年)の鉄砲伝来からになります。
天文12年、種子島に漂着したポルトガル船により、日本に初めて鉄砲とパンが伝来。その後、イエズス会の宣教師たちの布教活動とともにパン食の普及も始まりました。鉄砲などの南蛮文化をいち早く取り入れていた織田信長が、硬いパンの一種「ビスコート」を食べていたという記録も残っています。



日本の製パン技術とパンの種類は世界一
江戸が東京に変わり、西洋文化が急速に浸透していった明治時代。パン文化も本格的に根付き始めました。明治2年には、日本に現存する最古のベーカリー「木村屋総本店」が開業。そこで誕生したのがあんパンです。日本人の好みに合うよう、日本酒の酒種でパン生地を発酵させる技術を開発したとか。やがてあんパンは、ガス灯などと並んで「文明開化の七つ道具」といわれ、人々の人気を集めました。また、パンとミルクという西洋風の食事は栄養価が高いとされ、明治初期に誕生した軍隊でもパン食が採用されるなど、パン食は日本中にひろまっていきました。
製パンの機械化やイースト培養の工業化も始まり、パン食は日本人の間でさらにひろまりました。戦後復興の途中にあった日本では、欧米文化が豊かさの象徴だったそうです。ライフスタイルの洋風化が進み、パン食も人々の暮らしのなかに浸透していきました。
そして現在では、日本の製パン技術とパンの種類は世界一といわれています。
日本に初めて発酵パンが伝わってから4半世紀あまり。いまや、パンは私たちの生活に欠かせないものとなっています。

b0143570_23323999.jpg

写真はポテトクラブのSさんからお送り頂いた「東京農業大学名誉教授・川端 晶子先生のフランスの小麦とパンについて」の学術論文と私の今月の料理教室「パン作り」食材レポートです。
写真の資料ではパリにある「栄養と食料の調査研究に関する調整国立センターの穀類加工委員会で示している製パンテストの評価分析が詳しく記されています。
材料の小麦の種類、挽き方のみならず、多くの食材の配合分析、発酵の微妙な温度と補充水分、時間の細かい分析、焙焼の温度切り替えと焼き上げ時間の幅広いテストについて克明に記されています。
川端 晶子先生はこの論文に、フランスのパンの洞察力は、洗練されたセンスを持ち、創造性が豊かで食べ物を愛するフランスの国民性を物語るものだと高く評価しています。
素晴らしい論文の数々に魅了され、尊敬に値する先生です。

川端 晶子先生は1926年生まれ(現86歳)現在ニューデリーに在住、ご健在ご活躍のようです。
食文化の著書も多数で、食の感性哲学、食文化比較論、美味学<おいしさの理論>、禅と食の対話は世界的にも評価され、大学以外にも・(財)ソルトサイエンス研究財団評議員・(財)すかいらーくフードサイエンス研究所評議員・(社)日本フードスペシャリスト協会理事・日本フードアナリスト協会試験委員・日本食育学会理事、以上、すべて現役です。

遅馳ですが、これから川端 晶子先生の本を読んで、食文化をもっと学んで見たいと思います。

川端 晶子~「食の古典」を学ぼう!

 古典とは、「いつの世にも読まれるべき、価値・評価の高い書物」である。古今および洋の東西を問わず、すばらしい「食の古典」がある。食の問題もグローバル化した今日、これらをひもとくことは、食生活を豊にし、新しい感動を覚える。私たちは、東洋の食の古典として、道元の『典座教訓・赴粥飯法』を読み、『禅と食の対話』を学び、西洋の食の古典として、ブリア=サヴァランの『美味礼賛』を学ぼう。

私は昨年から、日本の古来食文化を勉強し大変興味深い資料を沢山集めております。
昨年、父から下記の、江原 絢子先生の本「日本の食文化史年表」をプレゼントされたのが、きっかけです。
b0143570_143444.jpg

江原 絢子(えはら あやこ、1943年 - )(現69歳)

島根県出身の文化史学者。東京家政学院大学名誉教授。日本家政学会編集委員・関東支部役員・代議員、日本調理科学会関東支部役員・常任理事・理事・副会長、日本風俗史学会常任理事、日本生活学会常任理事、食文化研究部会部会長。
著書はやはり多数で…
食生活と文化-食のあゆみ-(共著) (弘学出版 、1988)
江戸時代の日常食 (ヴィジュアル百科江戸事情1巻(雄山閣出版) 、1991)
江戸時代の食文化 (ヴィジュアル百科江戸事情4巻(雄山閣出版) 、1992)
利休の茶事-料理- (利休大事典(淡交社) 、1989)
食品と調理の文化-穀類・獣鳥肉・乳・乳製品- (調理と文化(朝倉書店) 、1993)
江戸の食物-朝・昼・夕食の献立- (史料が語る江戸の暮らし122話(つくばね舎) 、1994)
食品と食生活 (食品学(調理栄養教育公社) 、1994)
食生活の成立と展開(共著) (放送大学教育振興会 、1995)
全集日本の食文化 日常の食(編集・解説・解題) (雄山閣出版 、1997)
高等女学校における食物教育の形成と展開 (雄山閣出版 、1998)
日本食・100年-つくる-(共著) (ドメス出版 、1997)
栄養学(共著) (実教出版 、1998)
漬物塩嘉言・豆腐集説・豆腐皮・麸口伝書・仕込帳・醤油仕込方之控・製塩録(翻刻・現代語訳・校注・解題) (農山漁村文化協会 、1998)
日本料理の発展(編・著) (雄山閣出版 、1998) …等多数

b0143570_1185617.jpg

写真は今月の料理教室「男の料理・人参倶楽部」のパン作りアルバムです。

グルメゾン料理教室~2012年5月の献立

 パン作りの基本・パンに合う献立と美味しい食べ方

 (バターロールパン・ポテトコロッケ・野菜たっぷりトマトスープ・フレッシュオレンジゼリー)

  パンの歴史と文化について、材料の小麦とイースト菌の配合について
[PR]

# by grumaison | 2012-05-23 01:24 | 食材百科

創作料理「自慢の一品料理」

オリジナルな創作料理
料理を始めた頃は、本格的なフランス料理、本格的なイタリア料理、本格的な中華料理・・・と、
可笑しな事にとにかく、本格的に拘りを持ったものだった。外国の伝統料理は、材料がひとつでも揃わなければできないと考え、素材を変えてアレンジして調理された料理は、本格的ではなく偽物料理と思ったりもした。
見た目が素晴らしく、食べて美味しければ、充分であるはずなのに何故あそこまで本格的と言う言葉に拘りを持ったのか…私と言う認識の狭い料理人の始まりでした。

b0143570_15431410.jpg

写真は「野菜の蒸し焼き、唐揚げポテトバスケットに盛り付けて~三種のソース」
蒸し野菜…茄子、秋筍、ペコロス(小玉葱)、人参、じゃが芋、銀杏、南瓜、オクラ、かぶ
ソース…胡麻マヨネーズ、山椒味噌、サルサソース(ピリ辛トマトソース)、添え・カボス

サルサソース
サルサ(salsa)とは、ラテンアメリカで料理に使われる調味料のことで、スペイン語でソースの意味。
サルサ・ロハ(salsa roja=赤いサルサ)
メキシコ料理の代表的な香辛料のひとつ。トマト、玉ねぎ、ピーマン、パクチーのみじん切りをレモン汁とタバスコに漬けたもの。
サルサ・ベルデ(緑のサルサ)
トマティーリョ(オオブドウホオズキ)のサルサ。
サルサ・クルダ(生のサルサ)、ピコ・デ・ガヨ
緑(唐辛子)、白(タマネギ)、赤(トマト)で構成されていることからメキシコの国旗になぞらえてサルサ・メヒカーナとも呼ばれる。
サルサ・ブラバ(ワイルドなサルサ)
カタルーニャ州のジャガイモ料理、パタタスブラバスのソース。
サルサ・ランチェラ(salsa ranchera=牧場のサルサ)
トマト、たまねぎ、唐辛子を煮込んで作るサルサ。日本でも瓶詰めなどで売られている。

外国の料理を本格的にレシピ通りに作っても美味しいとは限らない
料理は国により地方によって、材料も調理法も異なっている。人は、住む土地や気候によって食材や味の好みが違うので、その国の伝統料理であっても全ての国の人に美味しいと評価されるとは限らない。
料理は食べる人によって味覚が変わることを理解して作らなければならない。
食材の吟味をして、気候に合わせた季節の料理、素材の持ち味を生かした料理、食べる人の身になって好みや体調を考えた料理、食べる人を喜ばせるために調理された料理が本当の料理だと思うようになりました。

b0143570_1762362.jpg

写真は、海の幸オードブル・鯛のカルパッチョ(バジルとオリーブオイル、バルサミコのドレッシング)

b0143570_17131945.jpg

写真は、季節野菜のサラダアレンジメント(秋のコース一品)
材料…グリーンレタス、キャベツ、蓮根、トマト、胡瓜、柿、さやいんげん、金時豆、サラダ三色マカロニ、パセリ、海老
[PR]

# by grumaison | 2012-05-20 17:18 | とっておきの料理

とんかつと豚汁

とんかつ

明治時代にイギリスから伝わった西洋料理のカツレツが、日本独自の発展をした料理です。
現在は欧米に日本の料理「Tonkatsu」と紹介されています。
とんかつのと言う呼び名は、衣を付けて薄切り肉を油で揚げる料理であるカトレット(cutlet)がなまって「カツレツ(勝烈)」と言う呼び名がまず出来上がり、それから豚肉を用いた物が「ポークカツレツ」になり現在の「とんかつ」となったそうです。
とんかつのさきがけは、明治時代に銀座の煉瓦亭で木田元次郎さんによって薄切り豚肉をてんぷら風にたっぷりの油で揚げる方法が編み出されたと言われています。

b0143570_17571192.jpg


とんかつの歴史

1899年(明治32年)、東京都銀座の洋食店「煉瓦亭」が発売した「豚肉のカツレツ」(のちに「ポークカツレツ」と改称された)は、それまでの「カツレツ」とは一線を画す(明確な違いがある)料理であり、大量の油で豚肉を揚げ、温野菜のかわりに生キャベツの繊切りを添えて提供し、人気を博した。
この煉瓦亭式のポークカツレツから、1918年(大正7年)に「カツカレー(河金丼)」と、1921年(大正10年)に「カツ丼」が派生した。同年、新宿の「王ろじ」が厚いヒレ肉を大量の油で揚げる技法のカツレツを、初めて「とんかつ」と命名し売りだしたという。
1923年(大正12年)の関東大震災後、洋食や中華料理の人気におされて人気が下降していた日本蕎麦屋が、起死回生策としてカツ丼やカレーライスを扱いはじめ、気安く食べられる「蕎麦屋の洋食」として大当たりした。
1929年(昭和4年)、東京都御徒町の洋食店「ポンチ軒」が「とんかつ」を販売。厚いカツを箸で食べやすいようにあらかじめ包丁で切り分け、茶碗飯と漬け物と味噌汁で食べるという和定食のスタイルで客に出した。2.5〜3センチという厚くスライスされた豚肉に十分に火を通す加熱調理法を考案した島田信二郎は、「とんかつの発明者」と呼ばれる。

豚汁

豚汁は、味噌仕立ての汁に里芋、大根、人参、牛蒡等の根菜と豚バラ肉の切り落としを入れて煮込んだスープ料理です。
日本のスープ料理としては珍しく豚肉が使われており、豚の脂分で汁の温度が冷めにくく雪祭りなどの冬の催し物では屋台などで売り出されているほどの人気を誇ります。
豚汁が愛されている理由は、なんと言っても出汁と食材のうま味が溶け込んだスープにあります。
日本料理の美味しさを形作る昆布だしや鰹節だしに加えて、野菜のうま味と豚肉のうま味が複雑に絡んで、ご飯のよく進む料理となっているのです。また、豚肉を使っていることも見逃せません。
鶏や牛とは違う豚肉独特の歯ごたえや脂肪の風味が、伝統的な日本料理には無い美味しさを生み出しているのです。

b0143570_1811854.jpg

写真は「男の料理教室・ポテトクラブ」調理の地区センター祭り販売の豚汁です。
15年参加しております、手作り豚汁販売は、大変人気で250~300杯位3時間で完売です。
大量に作る豚汁鍋の上にある長葱の青い部分は、豚肉の臭みやアクを取るのに、煮込む時使います。
白い葱は細かく切って、柚子のみじん切りと混ぜて薬味にします。
煮込む時は、汁気も味噌も少なめで、根菜の味付けに小量の味噌を使うだけです。
仕上げの味付けで、最後に昆布出しと味噌を加えて味を調えます。
昆布出しと味噌の風味は損なわれず美味しく頂けます。

豚汁の発祥

豚汁が作られるようになったのははっきりとはしていないのですが、おそらく明治以降であると考えられています。
日本では飛鳥時代に時の朝廷から「肉食禁止令」が発布され、獣肉を食べると言うことは日常的なものではありませんでした。豚の仲間であるイノシシは食べることを禁止されていなかったので、牡丹鍋などの形で食べられていました。
そのため、豚汁の原形となったのは牡丹鍋では無いかとも言われています。

豚汁は、日本のスープ料理の中でも子供からお年寄りまで幅広い人気を持っています。
柔らかく煮込まれた野菜と肉を美味しく食べることが出来て、栄養的バランスの良い豚汁は、今や家庭の献立としても親しまれています。

寒い地域や寒い時期に食べられる事が多いのは、豚肉から出る脂がスープの表面を覆い、冷めにくいからである。
神社などにおいて年始の参拝客へ、またスキー場など寒い場所や寒い時期に振舞われたりする。家庭でも作られ、特に寒い時期に好まれて食べられるが、通年、日本料理店や牛丼店で出されている他、家庭の食卓にのぼる事も多い。

b0143570_1894995.jpg

写真は、地区センター祭り2011年11月豚汁販売・ポテトクラブの活動アルバムです。
[PR]

# by grumaison | 2012-05-06 18:19 | 食材百科